1998年に4人が死亡した和歌山市の毒物カレー事件で殺人罪などに問われ、1、2審で死刑判決を受けた在日朝鮮人・林真須美(47)の上告審判決が21日、最高裁第3小法廷であり、那須弘平裁判長は林真須美の上告を棄却しました。
この件に関して、非常に不思議に感じるのが、メディアの反応です。
第一に、この最高裁判決について、なぜか判決言い渡しの日の朝から、テレビなどでは、世間が注目する大事件として大騒ぎ。
判決がこうなった、という報道ならまだわかるのだけれど、判決がでる前から林被告の映像を映して、一審、二審に疑問などとやっていた。
どうやらメディアは、林被告を無罪にしたいらしいようにすら感じさせる報道であった。
第二に、上告棄却の判決が言い渡されるや、その翌日(つまり今日)になっても、メディアは、この問題について最大の時間を割いて報道している点。
メディアが言うのは・・・ちなみにみのもんたの番組では、
①状況証拠だけであり証拠が薄弱
②動機が解明されていない。
③判決は死刑という極刑
④裁判の長期化は、今後の裁判員制度に負担をかけるのではないか
などと疑問が呈されていました。
とりわけ状況証拠に関しては、コメンテーターが出てきて、
「先日の電車痴漢で無罪になった事件では、状況証拠だけでは証拠不十分とされていたのに、今回の判決では、状況証拠によって死刑判決になっている」などと述べていました。
どうなんでしょう? 4人殺害、63人重軽症という林被告の毒入りカレー事件と、電車の痴漢が同列というのは・・・
①の状況証拠しかないという議論に関しては、約1500件にのぼる証拠は、もはや状況証拠とはいえない。確定証拠です。
状況証拠にすぎないと言っているのは、無罪を主張する林被告側弁護団だけでしかない。
もちろんそれらの証拠の中には、林被告が毒物を混入している瞬間を見た、というものはありません。
しかしその瞬間の目撃がなければ証拠にならないというなら、人のいないところで犯した殺人は、すべて無罪という議論になってしまいます。
②「動機が解明されていない」
刑事事犯で人を罪に問う場合“故意”か“過失”かは、非常に重大な分岐点となります。
つまり、たまたま所持していたヒ素がカレーにこぼれただけだったのか、意図的に殺そうと考えたのかという点です。
そして、“故意”を裏付けるものが動機・・・つまり犯罪を行った“きっかけ”です。いいかえれば、動機は故意性を裏付ける事情にすぎません。
林被告のように、なんら悔悛の情なく、火病を起こして「自分はやっていない」どころか、「国に殺されたくない」などとうそぶく犯人の場合、自ら動機を自白することはなく、その場合、故意であったかは客観的証拠によって裏付けられるのは当然です。
③「判決が極刑の死刑である」
子供たちの楽しい子供会カレー大会を、一瞬のうちに地獄絵図に変え、4人を殺害し、63人に重軽症を負わせた事件の犯人が死刑でなく、数年の刑期を終えてまたシャバで生活を始めるようなことがあったら、それこそ問題です。我々庶民は安心して暮らすことができない。
④「裁判の長期化は、今後の裁判員制度に負担をかけるのではないか」
これは、林被告の今回の裁判における判決と何の関係もありません。
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たしかに林真須美被告の毒物カレー事件は、世間を震撼させる大事件ではありますが、それでも、判決の前日から「明日には判決」、当日の早朝から「今日判決」、そして有罪判決が出ると一斉に「判決に疑問」・・・・
この日は、中川元財務大臣の日本も核を議論する時期に来ているという発言もあり、そのことのほうが、日本の多くの国民にとってよほど重要な案件であったろうと思うのですが、なぜか林真須美被告事件だけが大きくクローズアップされています。
どうやらメディアのご意向は、林被告を無罪にすること、および、故意に日本の裁判に疑問を呈することに、その意図が置かれているような気がします。
林真須美被告は、在日朝鮮人で戦後に日本国籍を取得した帰化人であるともいわれています。
コリアン寄りのメディアとしては、在日同胞を擁護することがなによりも優先し、日本の法に従い、悪事を働いたら、ちゃんと反省し悔しゅんする意思はまるでないかのようです。
ある意味、非常に危険な報道の在り方であるように思います。
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